真言宗は密教(みっきょう)と呼ばれます。密教以外の宗教を真言宗では顕教(けんぎょう)と位置付けます。顕教では宇宙の本体について、あまり詳しく説いていません。その説明の方法もきわめて消極的です。それを積極的に、しかも具体的に説明するのが真言密教の特色です。弘法大師は、宇宙の本体そのものを体大(たいだい)相大(そうだい)用大(ゆうだい)の三方面から説明しています。その思想を六大体大(ろくだいたいだい)四曼相大(しまんそうだい)三密用大(さんみつゆうだい)といいます。 |
六大体大(ろくだいたいだい)
体大とは本体論的説明という意味です。宇宙は地・水・火・風・空から成り立っています。この五つを五大(ごだい)といいます。弘法大師は、この五大に意識を加えて六大(ろくだい)と説きました。宇宙間に存在しているありとあらゆるすべてのものはすべて、この六つの要素から成り立っています。この六大はすべての生物・無生物に普遍しているのです。四曼相大(しまんそうだい)
六大を体(たい)としてあらわれた現象を、実際に相(すがた)として表現します。その四つを大曼荼羅(だいまんだら)三昧耶曼荼羅(さんまやまんだら)法曼荼羅(ほうまんだら)羯摩曼荼羅(かつままんだら)といいます。この四つの曼荼羅をもって宇宙の現象論的説明をしているのです。
1、大曼荼羅(だいまんだら)
仏(ほとけ)・菩薩(ぼさつ)ご自身の姿を描いたものです。仏・菩薩のほかに人類や動植物や鉱物なども描かれています。宇宙というものを形のうえから観察すれば、万物は皆それぞれの特有の姿をもっていることを現しています。
2、三昧耶曼荼羅(さんまやまんだら)
仏・菩薩が手で形をあらわしておられる印(いん)、手に持っておられる蓮華や剣や宝珠は、その仏の誓願の象徴であります。たとえば、観音の蓮華や不動明王の剣などがそれにあたります。このようなもので表現されたものを三昧耶曼荼羅といいます。
3、法曼荼羅(ほうまんだら)
仏・菩薩を一文字で表わしたものを種字(しゅじ)といいます。この種字などで表現されたものを法曼荼羅といいます。
4、羯摩曼荼羅(かつままんだら)
羯摩とは威儀事業という意味です。絵画として表現する大曼荼羅に対して、木像などの仏像で表現したものを羯摩曼荼羅と呼びます。
大曼荼羅(金剛界) 三昧耶形 法曼荼羅 羯摩曼荼羅(東寺金堂)
三密用大(さんみつゆうだい) 六大体大と四曼相大のうえに必然的に起る宇宙のうごき・はたらき・業用・作用を三密用大といいます。三密とは、身密(しんみつ)・口密(くみつ)・意密(いみつ)の三つをいいます。身密とは仏の身体の活動をいい、口密とは仏の言語をいい、意密とは仏の精神作用をいいます。真言宗の僧侶はこの三密の修行をもって成仏の目的を達するのです。三密の修行とは手に印を結び(身密)口に真言を唱え(口密)心は三昧地に住する(意密)のです。これらの身・口・意がおのずから真理の発現であるために、平凡なものにはその境地を察知することができません。それゆえに仏の身・口・意を密というのです。 |
秘密の意味 真言密教のことを秘密の仏教とよくいわれますが、秘密とは隠すとか内緒にするという意味ではありません。弘法大師のおことばに「いわゆる秘密には二義」あり、一には衆生秘密(しゅじょうひみつ)、二には如来秘密(にょらいひみつ)なり」とあります。すなわち、人間は生まれながらにして仏の徳を持っているのにもかかわらず、それが分からずに凡夫だと思い込んでいるのを衆生秘密といい、大日如来の説法は真言のおしえを受けないものには分からないことを如来秘密というのです。すなわち、自分の中に隠れている仏心(ぶっしん)を三密の修法をもって発見し、それを世のため、人のため、社会のために生かしていくということに秘密の意味があるのです。 |